尼将軍の政治手腕

歴史に名を馳せる人物は、その高い政治手腕を発揮したことで今でも語り草になることが多いです

現在でいう「政府」は、鎌倉時代に開かれた「幕府」にその源流を見ることができます

守護・地頭という勢力を左右に置き、執行権を持つ将軍が幕府を先導していきます

例えば、北条政子という歴史人物はご存知でしょう

歴史上最も有名な演説を御家人の前で披露したことで知られています

そのセリフの中に「山よりも高く、海よりも深い」というものがあります

いわゆる「御恩と奉公」の関係ですが、これは亡き夫・源頼朝に対する御恩(ごおん)を御家人たちに説き伏せ、その恩に報いるために幕府に奉公(ほうこう)することを御家人たちに力強く演説しました

その頃、北条政子は尼将軍として幕府の実権を握っており、源氏の血筋が途絶えた以上、その遠縁にあたる2歳の子供を幕府の将軍に就かせようとしていたのです

しかし御家人の多くは源頼朝を支持していた有力御家人ばかりだったのです

そんな中、北条氏が幕府の政権を掌握したことで次第に不満を漏らす御家人がいました

そしてついに北条氏に対する「宣戦布告」として朝廷の長が「承久の乱」を起こしてしまうのです

北条政子御家人に対する演説はその乱が起こる直前に行われたものです

なぜこのタイミングなのか

そう疑問に思った方は鋭い考察の目をお持ちですね

源頼朝に対する御恩は御家人に対して説き伏せたもの

しかし奉公は現在自分が主導する幕府に対してのもの

つまり北条政子は「頼朝を支持する」という環境が絶たれてしまった御家人たちをなんとか「幕府への奉公」という形でつなぎとめ、奮い立たせたのです

この演説のおかげで御家人の中で裏切りや騒動、謀反を起こす者はほとんどいなかったばかりか、北条政子の力強い演説に鼓舞され、何百万にも及ぶ朝廷の軍勢を打ち破ることに成功したのです

ちなみに朝廷は「倒幕(幕府を倒すこと)」は宣言していませんでした

あくまで幕府の体制的な問題に不満があったそうです

確かに源頼朝が率いた幕府で、それにずっと従っていた御家人たちからすれば、いくら正妻である北条政子の頼み事でも、そう簡単には聞き入れたくはないという思いもあったのでしょう

しかし現在でいうファミリービジネス(同族経営)のような形態であれば、幕府を支持する御家人たちも素直に北条政子に従ったのでしょうが、最初は何かと不満だったのでしょうね

権威が失墜した幕府をいつまでも支持するという不安、女性1人が将軍として政治を振るっている体制的な問題、ほとんど頼朝にゆかりのない子供が次期将軍候補になっていたことなど…

そうした御家人たちの不満を一気に吸い上げ、それを「御恩と奉公」という形で幕府に還元することを説き、奮い立たせた北条政子の政治手腕には見事というほかありませんね

次回は幕府の仕組みや成り立ちについて詳しく書きたいと思います