新年早々…
航空事故から大地震まで、悲惨な出来事の連続です
こんな年明けは迎えたくなかったのですが、自然災害にはあらがえませんし、人為的ミスによる事故は、乗り物を運行している以上は永遠に減らないのでしょう
管制路を把握していなかったのか、機内?に炎上が生じて、5人の犠牲者を出しました
なんでも母親の話によれば、その被害者の1人は石川県の被災者に対し人命救助に応じる…と言う形で北海道から遠路はるばる飛び立ったそうですが、想定外の無念極まりない事故に巻き込まれ…
飛行機の画像を見れば、どこもかしこも火の海
機体は原型をとどめないほど大破していました
当時の事故現場を見ると、居ても立っても居られなくなりそうです
2019年に平成から”令和へと元号を改元したのが、そう遠い出来事とは思えません…
私はその頃、令和改元の瞬間の行方をYouTubeの動画で静かに見守っていました
平”和”にちなんで今度は令和ときたか…と、新たな元号に期待を大にして、私は日本の平和を願ったと言うのに・・
蓋を開けてみれば、どの年も災厄ばかり
コロナパンデミックの大流行、物価高や重税、ウクライナ戦争、そして今回の石川県大地震ならびに航空事故…
平和の意を込めて改元したはずの元号が、それ以降になってさまざまな災厄を引き起こしている・・
これは一体どう言うことでしょうか
私は平和にすがる…と言う考え方が実は嫌いなんです
平和というそのものの定義が曖昧で、何を持って”平和”とするのか?
それをしっかり定めないと平和という定義がいつまで経ってもブレブレのままなんですよね。。
スイスのように永世中立国が平和の象徴なのでしょうか
それとも「不戦主義」?
あわよくば自然に優しいエコロジーな考え方そのものが”平和”なのでしょうか
日本は先ほど述べた石川県の大地震のように、特に自然災害が多い国です
ちゃんと四季が巡り、自給自足もできる
それは自然のサイクルがうまく回っているからこそなせる芸当なのです
天照大御神という日本最古の氏神、1度は聞いたこともあるでしょう
これを起点として日本人には”自然と向き合う”という考え方が生まれ、自然の脅威にもうまく立ち回っていかなければならない・・として、農耕や栽培などの自給自足の力を身につけていったのです
現代でいえば、バイオレメディエーションや有機栽培などが主な例でしょう
時代が降るにつれ、”自然と向き合っていく”のではなく”自然を利用していく”方向にシフトしていったのです
これはいい方向に働いたともいえ、たとえばコンポストなどは腐敗したゴミを再利用して植物を育てる・・という新たなリサイクル法であり、ゴミの不法投棄を減らすいいきっかけになっていると言えます
ここで気づいた方もいるでしょうが、なぜこんな話を私がしたのか
自然と向き合っていくという日本のエコロジー精神は、近年薄れつつあるように思うからです
というのも、現在日本に限らず世界では地球温暖化が進んでいます
オゾン層が徐々に破壊され、温暖化がより進むとされている現在日本では、むしろそれを助長するような行為をしているとさえ思うんです
たとえば、自然破壊(木の伐採や間伐)、海洋への不法投棄、タバコのポイ捨て、自動車のCO2排出など・・
これって、現代科学が進歩した1つの弊害でもあるんですよね
なぜ自然を破壊するのか?という疑問を挟む余地はありません
東京や横浜などの都市圏を見渡せばわかりますが、現在、高層ビルや鉄筋コンクリートのマンションなど、あらゆる建物がズラリと並んでいます
そしてこれらの建造物には、広大な土地が必要です
その”土地”は人の手が加わっていない、自然がいっぱいに溢れていました
それを土地開拓のために破壊する・・
よく言われるクマの出没事件は、このような自然開発によるものから発生しているのです
人里に降りてクマが襲撃するのは”人肉の味を覚えたから”ではなく、”自分のテリトリーを広げたいから”というものなのです
日本全土を支配したい、という野望的思考とは無縁なのです
そうさせたのが、皮肉にも人間という生き物・・
本当の平和というのは、自然の脅威と向き合い、共存していく・・
そういうことなのではないでしょうか
石川県による大地震も、自然の破壊と無関係な出来事とは思えません
本当に極端な話ですが、飛行機の事故も、じゃあ事故を起こしたくないなら飛行機自体を廃止すればいいじゃん、って話になりますよね
高齢者による交通事故が多いのも、1960年代高度経済成長期の渦中において、モータリゼーションの普及が一気に進み、移動の楽さを覚えてしまったからです
免許早期返納とかそういう対策を打つ暇があるなら、そもそも原点に立ち返らないといつまで経っても悲惨な事故は減りませんよね
ここまで聞くと「原始主義」を拗らせたヤバい人。。のように見えてしまうでしょうが、かといって、江戸の日本家屋のように蝋燭の火であかりを灯して、座敷をクッションがわりにし、商人と交易(ぶつぶつ交換とか笑)をする、みたいに完全な原型の日本に戻れとは到底思っていません
むしろそっちのほうが非効率ですし、最低限の利便性は確保するべきだと考えています
ただ現代人は今の便利さに溺れるあまりに大事なものを失っているように思えてしまいます
ITが普及する前は図書館で本を借りる、デリバリーやお取り寄せが登場する前は店舗先で受け取る、建設工法が進む前は自然を大事にしてきた・・等
これがよくか悪くかは別として、日本人がこれまで大事にしてきた文化や風土はやはり永久の財産ですし、それを歴史の人が長い時間をかけて築き上げていった・・ということも、やはり忘れてはいけないものだと思っています
長くなりましたがここまで読んでくださりありがとうございました