トリアージ(医療)

ーー概要

トリアージは聞き慣れない言葉だと思いますが、医療現場では日常的に使用されています。

トリアージとは「事故事件が起こった現場で迅速に患者の処置にあたれるよう重症者を優先的に搬送する」ことを言います。

同時にトリアージをめぐる後手後手の対応をよしとしない軽傷者は「自分だって痛いのを我慢してるのに・・」と被害者意識を膨らませ、自分の治療を優先させたがる傾向があります。

重症者からすれば「何を勝手な!」みたいな気持ちでしょうが、軽傷者からすれば「傷の有無や痛みの度合いで搬送する順番を決めるのか?」といった感じなのでしょう。

まあ、現場に立ち会えばわかると思いますが、軽傷者でも傷の度合いは大きく異なり、本当にかすり傷・擦り傷程度の怪我であれば後手の対応になるのは当然ですし、限りなく重症に近い軽傷であれば、それは重症者と同じ対応をされるべきでしょう。

これは非常に難しい問題です。

まず多くの搬送先である医療機関は、すでに患者の数が定員オーバーしておりベッドや病床の確保はおろか、食事の提供や予後ケアなどのアメニティ制度が整っていないのも事実なのです。

命に別状はない軽傷者も重症者と同じような扱いにし、病院に搬送すればそれこそ医療崩壊を起こしてしまいます。

トリアージはまさにそんな命の価値づけを傷の度合いや重症度に応じてふるいわけするもの。

なかなかに受け入れ難いでしょうが、私はこの制度は廃止するべきではないと思っています。

以下に理由を詳しく書きますね。

 

ーー①時間外勤務問題

医療の受け入れ体制が万事整っている病院は滅多にありません。

夜中の2、3時になっても病院を開いていたり、プロフェッショナルな医療技術を持つ医師が1日中休みもせずにいつでも治療の用意をしてくれてはいません。

大体夜中には病院も閉まり、医師やその他看護師も家に帰ってしまいます。

もし緊急の通報があれば、医師の代わりに代理の方が駆けつけてくれることもあります・・、がほとんどは雇われた方なので医師と同じように適切な治療ができるかどうかは疑問符のつくところです。

そんな中に軽傷者の相手をしつつ重症者の治療にまで手が回るとなると医療崩壊を起こす可能性が高まってしまいますよね。

被害者の数に比して医療従事者の数が少ないのですから、1人1人の治療には手が回らないというのが現状なのです。

 

ーー②予算の逼迫問題

医療行為にはそれなりの予算がかかります。

病床のスペースや食事の提供、清掃なども含め考えると、その予算は患者数が増えれば増えるほど大きく膨らむでしょう。

医療の受け入れ体制が追いついていないのは予算の問題が大きいのです。

特に外来診療ならまだしも入院を繰り返す患者が増えると予算は大きく膨らみ、さらに定員割れを起こして外部人材を雇わなくてはならない状況になってしまいます。

その分人件費も膨らみ、結果的に赤字予算になる病院が多くなります。

 

ーー③人命に貴賤はない

これは「職業に貴賎がない」をアレンジした私なりの造語です。

人命救助にあたる医療関係者は、どの患者にも適切な治療を施し、しかるべきケアの後に社会復帰させる必要があります。

たとえそれが老いぼれたお年寄りの方でも、人命は等しく扱うべきもの。

「老人より若い人の治療を優先しろ」という意見も一理はあると思いますが、それはあくまで若い人が重症に陥った場合のみの話です。

軽傷者の若者と重症者の老人であれば、やはり後者の治療を優先させるべきでしょう。

それこそが人命の尊さというものです。

 

ーー対策としては?

ただどうあってもトリアージという制度を継続させる以上は、やはり現場からの不満が漏れるのは当然です。

まず私が問題に思ったのは医療機関の少なさです。

救急車が駆けつけ最寄りの病院に搬送するまでの時間が長すぎると感じています。

そんな中で現場で痛みに耐える人たちの姿を見るとトリアージ制度に対して不満が漏れてくるのも頷けます。

医療機関は増やさずともやはり何かしら軽傷者専用の簡易的な医療機関を設立したり、事件現場にいた通行人がギプスや包帯などで止血したり人工呼吸マッサージを施すなど、それなりの当事者意識を持つことが大事だと思うのです。

見て見ぬふりはある意味1番の加害者。

であれば、自分も積極的に関わりできる範囲のところから応急処置にあたることが1番の対策になります。

その場で治療にあたってくれる人がいれば、トリアージに対しても不満は出てこなくなるでしょう。