学校

ーー概要 

学校とは頭の固い洗脳教師とエリート志向に毒された金食い虫(生徒)とそれを教育という名のプログラムにおいて実現させようとするモンスターペアレントが三位一体となり運営しているトンデモ機関の総称である。洗脳教師とは主に社会正義を担うことを職責とし謎の正義感に燃えている教師のことを指すのだが、社会正義とは具体的に富の移転や法の下の平等などを訴え、弱者に優しい社会を作ることを目的とした理念であり、本来の教師の定義とは大きく外れている。

 

まず学校では「みんな等しく公平に」というスローガンを掲げ子どもたちに選民思想を植え付けさせないよう洗脳するが、実態は「和を大切にしよう」「集団行動は当たり前」という固定観念を植え付けようとしているため、戦前の学校と理念は何も変わらないのである。つまり生徒たちの無個性を第一とし、個性を押しつぶす、個を排除する・・といった、祖国統一論を展開する。これは将来社会へ向けて飛び立つ生徒たちが余計な個性がでばって妙な行動を起こさせないよう教育段階で入念に仕組んだ策略なのである。

ーー教師・教諭

教師とは学校に飼育された生徒たちを1日中監視し、何かにつけ「廊下は走るな」「ネクタイが曲がってる」「何だその反抗的な目は」「私語は慎め」などの呪文を唱え始める。生徒たちはそれに渋々従うが、これが生徒たちに対する健全な教育とは言えないだろう。しかし生徒たちは教師に対する反抗心はあるものの気が弱いためなかなか実行に移せない、そして溜まったウサをどこかで晴らすために家庭内暴力や犯罪行為にまで発展してしまう・・という事例がたびたび報告されている。むしろ犯罪者・非行少年養成機関として、学校は政府による事業仕分け対象の候補にまでなりつつあるのだ。なぜって、公立の学校は国の助成金補助金で成りなってるのだから。

そしてこれらの教師は学校という「学びの場」において、1年にかけて世話をする生徒たちを果たして公平な視点から評価できるのか?それはほぼ否と考えるのが妥当であろう。以下に一例を示す。

教師によるえこひいき問題

まず教師は典型的な差別主義者であることを忘れてはならない。みんな公平に等しく・・というのは建前上のスローガン(そもそも教師らはそんな高尚理念など持ち合わせていない)であり、実態は教師のお気に入りの生徒たちのみが進学校や志望校への内定をもらっているケースがほとんど。

 

例えば、気に入らない生徒の成績表をつける際、どんなに一芸に秀でた面があってもそれを評価せず、最高評価で「4」程度にとどめる。(5をつけるのが癪なため)また、教師が生徒たちに挙手を求める際に気に入らない生徒は無視する・・というケースも報告されている。これが生徒たちの後の人格形成に大きな影を落とすことは間違いないだろう。そういう意味で教師という存在は「ゴミ以下の存在」と言える。とりま先公は氏ね。

親への忖度と迎合

もし教え子の親が資産家であったり、政財界やテレビ業界などと通じている有名人の場合、教師はその親に媚びる可能性がある。親の命令で「この子の成績は盛ってちょうだい!」みたいに言われ、教師はそれに従い成績を偽装する。しかし露骨に全部を「5」評価にしてしまうと怪しまれるため、苦手な分野は「3」評価にとどめ他の生徒たちの溜飲を下げようとする巧妙さも持ち合わせている。いわゆる権力者の息子には一切叱ることはない。なぜって、自分のイメージを落としたくないのと保身のためだから。

 

また、このように自分の息子を必要以上に評価したがる親はモンスターペアレントと言われ、社会的な問題となっている。

持ち物没収

授業中に私語をしたり廊下を走ったりしてると教師が「罰として君の持ち物を没収する」といって、持ち物全てを奪い取る。これは基本的に職員室に預けられるのだが、これは預かり品ではなく押収品であり、教師は密かに生徒から奪った持ち物をいじっている可能性があるのだ。特に多いのがお金(財物)やスマホ(携帯)であり、そこから無作為に画面に侵入して生徒たちの閲覧サイトを勝手にのぞいたり、財布からうまくバレないようにはした銭などを奪い、それを缶ジュース1本に変えている可能性が高い。まさに「私有財産制の侵害行為」であり、立派な窃盗罪である。もし生徒たちが訴えようものなら、摘発は免れないだろう。だが教師は法の網の目を掻い潜るように「バレないように小さい額のお金だけ奪えば・・」とうまく工作しているため摘発は免れているのが現状なのである。

怒鳴りつける

教師のお家芸とも言える説教法。とにかく声を大にして怒鳴りつければ生徒たちもホイホイ従うだろう、という安易な発想からくる説教法であるが、これで終わると思ったら大間違いだぞゴラァ。生徒たちは大人のそういう暗黒面に薄々勘づいているので、とりあえず声を大きくすれば素直になるんじゃないか、という教師の考え方を十分に心得ているのだ。

 

「おい!ちょっと来い。」これは教師(先公)による1つの脅し文句であるが、決して体罰もできないし生徒には「身体の不可侵権利」という最大の武器を持ち合わせているため、口による説教でしか諭すことはできないのだ。もし生徒に手をあげれば失職はおろか逮捕すら見えてくるレベル。所詮、教師という生き物は口による説教でしか生徒たちを叱ることはできないのだ。肝っ玉の小さい先公が。

ーー学校はいつからこうなった?

教師というゴミが登場したのは随分前であるが、それは福沢諭吉が設立した慶應義塾大学にその源流を見ることができる。福沢が教師をやっていた頃の日本は長年鎖国政策を続けており、国外からの交易は一切絶っていたのだが、これでは日本は後進国になるだけだと危惧した福沢はヨーロッパに船で渡航し、カルチャーショックを受けたのだ。日本の教育水準はヨーロッパに比べて低い、福沢は幕府に開国を迫り、そのタイミングでペリーが来航したのだ。明治維新の始まりである。(同時に倒幕も実行された)

・・これで日本は変わったかのように見えたが、どうやらそれは大きな誤算だったようである。幕府亡き後、学校という教育機関が次々と設立させられ、多くの児童が在籍した。しかし時期が悪かった。その頃、世界は枢軸国と連合国の火種がくすぶっており、いつ戦争が起こるかもわからない一触即発の様相を呈していた。

 

そして日本も例外ではなかった。戦力が不足していた日本は学校という教育機関を傭兵を育てるための機関に業態変更し、多くの児童らが演習・戦争に駆り出された。戦争は激化し、多くの戦死者を出した。その悲劇は今でも語り草になるほどである。日本はWW2で敗れ、ポツダム宣言を受諾し多くの国民は悲嘆に暮れた。しかし戦後の復興運動により、日本にも活況が戻りつつあったのだ。

多くのインフラや経済基盤が整備され、日本にも光の一筋が見えてきたのだが、唯一変わっていないものがあった。それが紛れもない「学校」なのである。戦後、学校は傭兵の多くが除隊し、再び学びの場という意味合いが強くなったので多くの児童が入学した。・・のだが、学校には戦火の跡が残る。起立整列や服装規定などは、その名残であろう。学校に入学した生徒たちは集団行動を強要させられ、規則正しく整列もさせられた。何も変わってなかったのである。

 

そしてその行動を通すにつれ、頭の固い教師らは「最近の若いモンは・・」と懐旧の情に近い、皮肉めいた名言(迷言)を放ち、生徒たちをみるみるうちに洗脳していったのである。洗脳が解かれたあとの生徒は、「なんだあの先公!」と舌を打っているに違いないだろう。そして広く遠い青空の下で、「学校がない毎日はいいなあ〜」と幸せを満喫していた。

※共謀者一覧

・教師全般(言わずもがなである)
・校長・副校長(長ったらしい訓話がモットーのヘタレジジイ)
・保健教諭(大して看病もしないくせに一般教諭並の給料が保証されている。シャトルランの後に保健室に駆け込んだ生徒たちを一蹴することでも有名)
・体育教諭(木刀を振るい、生徒たちへの体罰に情熱を傾ける、とんだ迷惑野郎)
・社会教諭(右か左かに偏っている。生徒たちを洗脳させるのが目的。余談だが、小池百合子の名前をあてる出題をした愚か者が私の学校に存在した)
・英語教諭(まともに英語が話せないのにえらぶってるゴミ。外国教師に頼め)
・給食教諭(アレルギー持ちの生徒にはなぜか冷たい態度を取る)
・PTA(無会員の親子にも入会を強制し費用を捻出させる税金泥棒集団)
・子供会(無駄なイベントの開催や備品の出展などを行う時間泥棒集団)
・部活顧問(時間外運動を強要する、生徒たちを酷使する、典型的な熱血馬鹿)